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患者様・ご家族からのメッセージ
平成22年3月現在、名古屋市腎友会副会長、日本移植者協議会東海支部支部長をされている山本登さんは、初めての透析をしてから35年が経ち、現在までに2度の腎移植を受けられています。 35年前の透析医療のこと、腎移植のご経験談、現偕行会グループ会長の川原先生との思い出、医療従事者に期待することなど、さまざまなお話しをうかがいました。
インタビュー実施:平成22年1月*インタビューの実施および写真を含めた掲載についてご本人のご承諾をいただいております。

<<< もくじ >>>
(1)腎炎の治療も、腎不全の治療も、手探り状態だった40年前
(2)川原弘久さんという医師との出会いが全てを変えた
(3)患者と医者との間の垣根がなかった川原先生
(4)透析をはじめた頃に、一番不安だったのは家族
(5)腎移植では、数多くの幸運に恵まれた
(6)透析医療では、安全で、安心で、合併症対策をしっかりできることが大切
(7)偕行会グループの医療方針からは、強い想いが伝わってくる
(8)心から「先生」と呼べる人に出会える幸せ
(9)山本。俺に任しとけ。俺が診る。いつでも電話して来い!
(10)患者様やご家族、医療を支えている方々へのメッセージ

(1)腎炎の治療も、腎不全の治療も、手探り状態だった40年前

−こんにちは。よろしくお願いします。

(山本さん)
こんにちは。よろしくお願いします。

−透析を始めたのが35年前とのことでした。

(山本さん)
そうですね。
昭和51年の2月ですね。

−その時のことを教えていただけますか。

(山本さん)
私が31歳直前のことでした。
その10年くらい前には腎炎というのはわかっていて、近くの開業医さんで治療はしていました。
ところが10年後には腎不全になってしまい、透析を開始しました。

−腎炎といわれていた頃の医療に対しては、どのような印象を持っていましたか。

(山本さん)
当時の腎臓病の治療については、お医者さんでも何をしていいか治療方法が確立されていないように見えました。
私自身も全く手探りの状況の中で治療を受けていました。

−情報源が少なかったのですか。

(山本さん)
情報源もなかったですし、それから医療を提供する側も、腎臓病に対して有効な手段というのが、わからない状況、手探りの状態にあったのではないかと思います。
そういう状況の中で、私は、総合病院でなく地元の開業医で治療を受けていました。

−どのような治療だったのですか。

(山本さん)
腎臓に良いというような薬も効いたことがありませんでしたし、身体を休めることと、栄養を補助するものを注射することをずっと続けていました。

−今とは随分と違うのですね。

(山本さん)
腎臓病というのは、なかなか症状が出ないんですね。
それから10年経って、腎機能が15%、10%となった時に初めて症状が出てくるんです。
末期腎不全の状況になって、初めて一気に!症状が出てくる。

−具体的にはどのような症状ですか。

(山本さん)
たとえば高血圧になったり、食事がとれない、貧血がドン!と進行する。
私自身がそういう状況になりまして、医者が「これではもう手がつけられない」と思ったのでしょうね、近くの総合病院に緊急入院しました。
そこで、3ヶ月ほど治療をしていたんですけども、やはり治療の手立てがないわけです。
12時間もの長い時間、点滴をしていることもありました。
当時は、本当に全く手探り状態だったんですね。

−その頃は、透析という治療方法はご存じなかったのですか。

(山本さん)
はい。私は知りませんでした。
その後、兄の職場の人が、透析という新しい治療法を受けて、仕事もやってるという情報があったんです。
腎不全治療の専門医がいる病院があると聞いて、直ぐ転院することにしました。

>>> (2)川原弘久さんという医師との出会いが全てを変えた


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